こんにちは。
このブログの運営者のびびんちょです。
はい、びびんちょって言うんです。誤植ではありませんよ笑
このサイトを訪問していただきありがとうございます。
50代、バツイチの女性です。
昨年春にサラリーマンを卒業し、今は自然に寄り添う暮らしを目指して米と野菜を育てています。お金もぼちぼち稼がなくてはいけないのですが、心穏やかに今の生活を続けるにはどんな稼ぎ方をすればいいのか。「再就職」というサラリーマン的発想から切り替えて、自分で仕事を創る方向でただいま奮闘中です。
このブログでは、米作り、家庭菜園、季節の手仕事や発酵調味料の手作り、心の鎮め方、ふと想ったことなど日々の生活を綴っていきますので、よかったら是非定期的に訪れてくださいね。コメントなども頂ければ嬉しいです。
ここからは私のこれまでの生き方や環境などを簡単に紹介させていただきます。
私は20代後半のとき子供を産んですぐに離婚。一人息子を引き取り、一人で育てていくために必死で働きました。しかし、必死で働いたところで幼い子供を持つ女性に世間は甘くない。30歳のとき、この安月給では生活するだけで精一杯、息子の学費は稼げないと強い危機感を抱きました。
当時、ダブルスキルという言葉が流行っていました。英語が多少得意だったので、英語プラス何らかの専門分野を身に着けることが出来れば有利になるかもと考え、そこから専門分野として法律を学び始めました。六法の勉強を始めた頃、法務部の立ち上げメンバーという形で運よくベンチャー系上場会社に採用されたのが30代前半。その企業では、性別も学歴も関係なく、実力で賃金が決められていました。
それからは文字通り無我夢中で働きました。管理職にもなりました。それなりによい収入でそれなりの暮らしが出来ていたのではと思います。当時の私はまさに物質主義的な感覚のなかで生きていました。
そして数年前、一人息子は大学を卒業して家を出ていきました。
「もう毎日ご飯を作らなくていいんだ!」「教育費の支払いもない。なんて気楽!!」
私は息子が独立した後も同じマンションに住み続け、好きなだけ趣味にお金を使い、好きなだけ残業して専門職のキャリアを活かして転職もしました。
ところが、です。ようやく訪れた一人暮らしを存分に満喫しようと思っていたけど、ある日気づいてしまったんですね。
「今のこの生活は私が本当に望んでいるのことなのか?」
いつも時間に追われて「忙しい」が口癖。駅まで歩く数分間、どんな人とすれ違って、どんな景色を見たか全く覚えていない。頭のなかはスケジュールのことでいつもいっぱい。
そして、気づけば滅多に笑わない人間になっていました。顔が硬直してしまい、笑い方も忘れてしまったような。自分の体なのに体を愛しいと感じれないような。足が地面についていないような。
ここまで違和感だらけなのに、どうして今まで気づかなかったのか?
こんな生活が本当に豊かといえるのか?
そしてさらに出てきた疑問。
「あれ?私、何のためにこんなに必死で働いているんだっけ?」
友人にこの質問をしたら「そりゃ、老後のために決まってるでしょ!」という返事。
多分、友人の答えは至極まともな考えなんだろうけど、私は到底受け入れられず。
20代の頃は一人前になるために働き、結婚して子供が生まれたら子供を養うために働き、子供が巣立ったら自身の老後のために働く。どれだけ働いても「将来お金が足らないかも」という不安がつきまとう限り、一生働き続けるしかない、という社会からの圧をひしひし感じる。
それでも。何だろう、一度気づいてしまったからだろうか。
「やっぱり違う。お金は入ってくるけどこんな生活は人として間違っている。頭じゃなく体がそう言ってる。」
いわゆる直感というものだったのかもしれません。その生活を手放してみろ、と。
それを手放した先にどんな景色が待っているのか、それを見たくなりました。
そんなあれやこれやの疑問をきっかけにそれまでの生き方を手放し、自然と寄り添い「ごきげんに暮らす」をテーマに日々の生活を綴ります。
どうぞよろしくお願いします。
2026年7月21日
びびんちょ