アーシングを気楽に続ける3つのポイント

こんにちは。

「アーシング」という言葉を一度は聞いたことがある方は多いと思います。

アーシングの医学的効果については科学的証明がまだまだ不十分なようですが、素足で芝生や土の上や砂浜を歩いたりことによって気持ちが落ち着いたり、安心感を得たりなど、心理的または精神的緊張を緩和させる効果があることは経験的にご存知の方も多いのではないでしょうか。

私はアーシングを始めて5年ほど経ちます。別に続けようと思っていたわけではなく、気づいたら続いていたという感じなのですが、やはりある程度アーシングの効果を実感できているからこそ自然と続けられたのかなと思います。

そこで、これからアーシング始めたいという方向けに、アーシングを続ける3つのポイントについてまとめてみました。

目次

気軽に行けるところ

これは生活圏によっては難しいこともあるかもしれませんが、アーシングをする場所は自然が多いのはいうまでもありませんが、あと出来るだけ家から近いところがいいです。

アーシングは特別なイベントというよりは図書館に行くような感覚で、日常に取り入れるほうが続けやすいから。

車よりは自転車で、自転車よりは徒歩で行ける範囲が、「今日時間が空いたからちょっと行ってみよう」となりやすいからです。車だと、駐車場空いてるかなとか、自転車だと盗まれないかななど別の心配事が出てきて、「また今度行こう」と先延ばしになりやすいんです。

私がアーシングをするときの場所は自宅から徒歩圏内の芝生のある広い公園と大体決まっています。

私の場合は徒歩圏内というのが「近い」という意味なのですが、これは生活圏や生活形態によっても違ってくるので、要は「行きたいと思ったときに気軽に行けるところ」という意味でとらえてくださいね。

人目を気にせず安心できるところ

中途半端に人が多いところでは、人の目を気にしてしまいますよね。話し声がうるさかったりもします。

かといって、人の気配がほとんどないような寂しい場所では、特に女性は安心できません。

なので、一目で見渡せるような広い空間に人がまばらにいる程度が理想的な場所です。

そういう空間なら他人の話し声もあまり気にならないし、他人からも自分が見えているので怖いと感じることもありません。

ただ、ぴったり当てはまる場所を見つけるのは難しいかもしれません。そんなときは、自分にとって「安心できるところ」を基準にするのがよいと思います。

私がいくところでは、遊具があるので子供達の遊び声がすることもありますが、広い空間なのでお互い気にすることもなく、ノンビリするのにちょうどいい感じです。

心地よい方法で

アーシングというと、裸足で地面を歩くというイメージがありますが、必ずしもこの形でなくてもいいと思います。裸足に抵抗があるときは、靴下を履いていてもかまいません。

木に触れるとか、芝生の上に寝転んで背中を地面につけるのもオススメですが、大切なことは、自分の体が心地よいと感じるかどうかです。

私は芝生の上を素足で歩いたりすることもありますが、どちらかというと木陰のあるところで靴と靴下を脱ぎ、背中を地面につけるように横になってしばらくぼーっと空を眺めているほうが好きです。

足裏よりも背中のほうが地面との接地面積が大きい分、感覚が鈍くなっている人(←私です)にも感じやすいのではないかと思います。

背中から何かがふわっと抜けていく感じと、何かがすーっと入ってくる感じ。

毎回というわけではないですが、体のなかの氣の流れみたいなものを感じることがあります。

もちろん、感覚には個人差がありますし、主観も入っているので誰にでも共通の感覚ではないと思います。

自分の心地よいアーシングを色々試してみてくださいね。

それでは、今回はこのへんで。

読んでいただきありがとうございました!

 

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この記事を書いた人

びびんちょのアバター びびんちょ 発酵職人

こんにちは。

このブログの運営者のびびんちょです。

はい、びびんちょって言うんです。誤植ではありませんよ笑

このサイトを訪問していただきありがとうございます。

50代、バツイチの女性です。

昨年春にサラリーマンを卒業し、今は自然に寄り添うように米と野菜を育てています。お金もぼちぼち稼がなくてはいけないのですが、心穏やかに今の生活を続けるにはどんな稼ぎ方をすればいいのか。雇われるという発想から切り替えて、自分で仕事を創る方向でただいま模索中です。

このブログでは、米作り、家庭菜園、季節の手仕事や発酵調味料の手作り、ふと想ったことなど日々の生活を綴っていきますので、よかったら是非定期的に訪れてくださいね。コメントなども頂ければ嬉しいです。

ここからは私のこれまでの生き方や環境などを簡単に紹介させていただきます。

私は20代後半のとき子供を産んですぐに離婚。一人息子を引き取り、一人で育てていくために必死で働きました。しかし、一生懸命働いたところで幼い子供を持つ女性に世間は甘くない。30歳のとき、このままでは息子の学費も稼げないと強い危機感を抱きました。

どうしたらいいか考えた末、当時、ダブルスキルという言葉が流行っていたので、得意の英語を武器にさらに専門分野を身に着けることが出来ればダブルスキルになるのではと思い立ち、そこから数年法律を学びました。法律の勉強をしながら専門職みたいな形で運よく上場会社に採用されたのが30代前半。その企業では、性別も学歴も関係なく、実力で賃金が決められていました。

それからは文字通り無我夢中で働きました。管理職にもなりました。それなりによい収入でそれなりの暮らしが出来ていたのではと思います。当時の私はまさに物質主義的な感覚のなかで生きていました。

そして数年前、一人息子は大学を卒業して家を出ていきました。

「もう毎日ご飯を作らなくていいんだ!」「教育費の支払いもない。なんて気楽!!」

私は息子が独立した後も同じマンションに住み続け、好きなだけ趣味にお金を使い、好きなだけ残業して専門職のキャリアを活かして転職もしました。

ところが、です。ようやく訪れた一人暮らしを存分に満喫しようと思っていたけど、ある日気づいてしまったんですね。

「今のこの生活は私が本当に望んでいるのことなのか?」

いつも時間に追われて「忙しい」が口癖。駅まで歩く数分間、どんな人とすれ違って、どんな景色を見たか全く覚えていない。頭のなかはスケジュールのことでいつもいっぱい。

仕事に趣味にいつも忙しくて「余裕」がない。なぜこんなに「忙しい」のか?周りの景色を見る気持ちの余裕もないような生活が本当に豊かなのか?

そしてさらに出てきた疑問。

「あれ?私、何のためにこんなに必死で働いているんだっけ?」

友人にこの質問をしたら「そりゃ、老後のために決まってるでしょ!」という返事。

多分、友人の答えは至極まともな考えなんだろうけど、私は到底受け入れられず。

「やっぱり違う。自分もおかしいかもしれないけど、何かが違う。体がそう言ってる。」

いわゆる直感というものだったのかもしれません。その生活を手放してみろ、と。

それを手放した先にどんな景色が待っているのか。それを見たくなりました。

そんなあれやこれやの疑問をきっかけにそれまでの生き方を手放し、自然と寄り添い「ごきげんに暮らす」をテーマに日々の生活を綴ります。

どうぞよろしくお願いします。

2026年7月21日
びびんちょ

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