ちょっとヘンな稲の正体は雑草イネだった?!

10月になりました。もうすぐ稲刈りが始まろうというこの時期になって、本当に今更なのですが、田んぼの異変に気付きました。

雑草イネ

出穂期、いえ、そのもう少し前から「なんかおかしい」と感じていたことがあります。それというのが、

成長が早すぎる株

7月下旬頃の真っ青な田んぼのなかにピョンピョンと背が高い株がちらほら。昨年もあったかな?あったとしても、数が違う。今年は妙に多い気がするし、籾の付き方も少し違うような気がするなぁと。

8月に入り稲全体が成長して見た目の差が分かりにくくなっても、見るたびに違和感のある株が増えていってるようで、正体がよく分からない不安のような波が押し寄せてくるようでした。でも上手く言葉にできなくて、そんな気持ちを誰かとシェアすることはなく。。

でも、先日、Facebookで偶然見つけた記事がその不安の正体だったと確信しました。

ちなみに雑草イネとは、水田に自生し雑草として生産被害の原因となるイネのことです。栽培イネと同じ種なので、イネであることに変わりはありませんが、栽培しているイネよりも繁殖力が強く、放置するとあっという間に広がります。

下の写真は8月半ばに撮ったもの。この時期すでに背高株がやけに目についていたけれど、他より成長が早い株なのか?と考えるしかなくて。。

8月半ば頃(出穂期前)の雑草イネ

9月に入っても妙に元気な?株が多く、穂の形も普通の稲と違うし、いよいよ異変に気付き始めました(遅いっ)。

9月半ば(普通の稲とは明らかに見た目が違う)

ネットで調べてみたら、少なくとも2015年には「農業・食品産業技術総合研究機構」から雑草イネに関する調査報告が出ていました。それによると雑草イネの特徴は

①脱粒性(だつりゅうせい)が高いこと。つまり、籾から種が落ちやすいため越冬できれば生き残る。

②赤米であること。ただし、ゲノム解析の結果、古代米である赤米とは異なる品種であるとのこと。

まぁ、プロの農家ではなく、自給のために米を栽培している者としては、白米に多少赤い米(雑草イネ)が混じっていたとしても食用として問題なければ今年はこのままでいいのかなぁと思うのは呑気すぎるのでしょうか・・

ただ、雑草イネは繁殖力がハンパないので、何か対策を取らなければ来年は今年以上に増えるのは明らか。ここが問題ですね。皆で話し合わなければ。。

ゲノム解析も行われています。雑草イネの正体は外来種ではなく、過去国内で栽培された稲が雑草化したものということでした。

これ、見方を変えたら、かつて栽培されていたイネが野生化したなら、人間にとって食べれる雑草が一つ増えたと考えることもできる?かなと思ったりして。

山に捨てられて野生化した小動物とか、池に捨てられた外来魚が繁殖したとか、自然のなかで淘汰されて生き残った種が強くなるのは当然かもしれません。

それでは、今回はこのへんで。

読んでいただきありがとうございました!

 

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こんにちは。

このブログの運営者のびびんちょです。

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50代、バツイチの女性です。

昨年春にサラリーマンを卒業し、今は自然に寄り添うように米と野菜を育てています。お金もぼちぼち稼がなくてはいけないのですが、心穏やかに今の生活を続けるにはどんな稼ぎ方をすればいいのか。雇われるという発想から切り替えて、自分で仕事を創る方向でただいま模索中です。

このブログでは、米作り、家庭菜園、季節の手仕事や発酵調味料の手作り、ふと想ったことなど日々の生活を綴っていきますので、よかったら是非定期的に訪れてくださいね。コメントなども頂ければ嬉しいです。

ここからは私のこれまでの生き方や環境などを簡単に紹介させていただきます。

私は20代後半のとき子供を産んですぐに離婚。一人息子を引き取り、一人で育てていくために必死で働きました。しかし、一生懸命働いたところで幼い子供を持つ女性に世間は甘くない。30歳のとき、このままでは息子の学費も稼げないと強い危機感を抱きました。

どうしたらいいか考えた末、当時、ダブルスキルという言葉が流行っていたので、得意の英語を武器にさらに専門分野を身に着けることが出来ればダブルスキルになるのではと思い立ち、そこから数年法律を学びました。法律の勉強をしながら専門職みたいな形で運よく上場会社に採用されたのが30代前半。その企業では、性別も学歴も関係なく、実力で賃金が決められていました。

それからは文字通り無我夢中で働きました。管理職にもなりました。それなりによい収入でそれなりの暮らしが出来ていたのではと思います。当時の私はまさに物質主義的な感覚のなかで生きていました。

そして数年前、一人息子は大学を卒業して家を出ていきました。

「もう毎日ご飯を作らなくていいんだ!」「教育費の支払いもない。なんて気楽!!」

私は息子が独立した後も同じマンションに住み続け、好きなだけ趣味にお金を使い、好きなだけ残業して専門職のキャリアを活かして転職もしました。

ところが、です。ようやく訪れた一人暮らしを存分に満喫しようと思っていたけど、ある日気づいてしまったんですね。

「今のこの生活は私が本当に望んでいるのことなのか?」

いつも時間に追われて「忙しい」が口癖。駅まで歩く数分間、どんな人とすれ違って、どんな景色を見たか全く覚えていない。頭のなかはスケジュールのことでいつもいっぱい。

仕事に趣味にいつも忙しくて「余裕」がない。なぜこんなに「忙しい」のか?周りの景色を見る気持ちの余裕もないような生活が本当に豊かなのか?

そしてさらに出てきた疑問。

「あれ?私、何のためにこんなに必死で働いているんだっけ?」

友人にこの質問をしたら「そりゃ、老後のために決まってるでしょ!」という返事。

多分、友人の答えは至極まともな考えなんだろうけど、私は到底受け入れられず。

「やっぱり違う。自分もおかしいかもしれないけど、何かが違う。体がそう言ってる。」

いわゆる直感というものだったのかもしれません。その生活を手放してみろ、と。

それを手放した先にどんな景色が待っているのか。それを見たくなりました。

そんなあれやこれやの疑問をきっかけにそれまでの生き方を手放し、自然と寄り添い「ごきげんに暮らす」をテーマに日々の生活を綴ります。

どうぞよろしくお願いします。

2026年7月21日
びびんちょ

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